不定期刊行マガジン第7弾は「パチンコホール」特集!
娯楽の殿堂の面影を残したオールドスクールなパチンコホールに焦点を当てた、丸ごと1冊「パチンコホールが大好き」特別号! 監修は2300軒もの店舗を巡り歩いて記録を撮り、パチンコ一筋の人生を送っているパチンコライターの栄華さん。2015年に知り合ってから交流を重ねていくにつれ、彼女のパチンコに対する思想や活動に共鳴し、足掛け5年かけて制作した渾身の特集です。
気合いを入れて取り組むきっかけになった出来事があります。栄華さんと名古屋の町歩きをしながら「こんなに派手にネオンを光らせて街中で目立っているのに、パチンコホールって見られてないんじゃないか」と話したことです。古いパチンコ台には愛好家がいますが、ホールは未だ対象になっておらず、路上観察のテーマとしてもスルーされがち。その佇まいが注目されることは非常に少なく、競馬など公営競技と比べても文化的な評価が進んでいません。これは本誌で特集すべきテーマだと思い制作を開始しましたが、しかしパチンコを特集するというと周囲の反応はまっぷたつ。「いいね、パチンコ打ってたよ」という好意的な意見と、「パチンコは大嫌い、子供に見せたくない、近隣の文化水準を下げている」という否定的な意見。今まで取り組んできたテーマでは、これほどの賛否両論はありませんでした。
戦前には子供の娯楽だったパチンコ。敗戦後には焦土となった日本各地に娯楽と慰めを与え、庶民の娯楽の殿堂として親しまれました。最盛期には4万軒以上あったとも言われ、連チャン機やフィーバー台などで大人を熱狂させ、CR機に変化した90年代には30兆円市場に成長しました。しかし栄光の裏には、射幸性の高さによるギャンブル依存症問題や、暴力団との癒着、駐車場に子供を置き去りにする事件が発生するなど、負の歴史もあり、健全な社会の構成員たちから眉を顰められてきました。しかしグレーと指摘される景品買取の小窓には、戦争で一家の働き手を失った寡婦や障碍者などが働き、職業選択自由が少なかった在日朝鮮人がメーカーや店舗で働くなど、社会の受け皿になってもいたのです。そういった怪しくも魅力と活気溢れる昭和・平成のパチンコ店にも衰退の危機が訪れ、清潔で明るいものへと変化せざるを得ない状況になりつつあります。今まさにオールドスクールなパチンコ店を、評価する時期に来ていると言えましょう。
「パチンコ店は下に見ていいという、固定化された眼差しを解放したい」と栄華さんは言います。軽蔑や無関心により見えなくなっている、パチンコホールの美しさや独自の存在感に光を当てることが、本特集の意義です。パチンコホールは、日本独特の町を構成する重要なエレメント。今までパチンコ店が視界に入らなかった人に少しでも興味を持ってもらえるように、また誤解や偏見が解けるよう誌面作りに励みました。本特集がパチンコ文化の裾野を広げるきっかけになることを願っています。(編集のことばより)
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